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理不尽の国のアリス

世界は歪んでいる。私の認識が歪んでいる。どちらでしょうか。

トーマス・マン『道化者』における社会不適合者・ニートの苦悩

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キラキラリア充なんて死んでしまえ!

こんな劣等感にさいなまれている現代ニートですが、

19世紀から20世紀にかけて活躍したドイツの作家

トーマス・マン(1875-1955)は

この劣等感を鮮明に描きました。

 

その作品とは「道化者」Der Bajazzo (1987)

 

ニートとひとくくりにしましたが、

正確に言えば社会に対して適合できない人間

感受性の強い、思考的、精神的主体の苦悩

 

キラキラリア充に対する嫉妬や劣等感を

現代に通じる形で描写しており、

精神的ヒエラルキーは時代に通じることが

ありありと実感できます。

 

実吉先生の訳の短編集に収録されています。

トオマス・マン短篇集 (岩波文庫 赤 433-4)

トオマス・マン短篇集 (岩波文庫 赤 433-4)

 

 

 

以下引用と考察です。ページは岩波のトオマス・マン短編集より。

ネタバレ注意です。

 

トーマス・マン『道化者』における社会不適合者・ニートの苦悩

 

主人公はとある町の裕福な家庭で育ちます。小さい頃は

おちゃらけもので、クラスの人気を集めるキャラです。

 

 確かなのは、おれがおそろしい腕白小僧だったことで、おれは家柄のよいのと、教師のまねを模範的にやるのと、種々様々な役者の身振りをするのと、それから一種大人びた言葉を使うのとで、同級生仲間に、尊敬と人望とを博することを心得ていた。だが、授業の時には、ひどい目に会った。なぜというに、教師の動作から滑稽味を探し出すほうにあまり忙しくて、そのほかのことには気をとめるひまなんぞなかったのである。それに家ではまた、オペラの材料になる韻文や、雑多なでたらめで、あんまり頭をいっぱいにしていたので、本気になって勉強なんぞできなかったのである。

p35

 

 韻文の才能、音楽の才能などもあり、

今でいうサブカル男子に近いものを感じます。

 

ただ、音楽などはガッチガチの先生に習っても半年しか続きません。

正式なルールなんて嫌いだ!ってタイプです。

「自由に楽しくピアノを弾いて、なにが悪いんですか?」って

のだめみたいですね。

 

このように、人に囲まれて人気者でいながらも陰キャラの片鱗を見せ始めている主人公

 

快活に人気者として、知人親戚の仲間うちに活動していた。しかもほんとはこの無味乾燥ななんにもない人たちを、ある本能からことごとく軽蔑しはじめていたのだが、おれは物慣れた様子で、お世辞屋ぶるのが嬉しさに、お世辞をよくしていたのである。p36

 

でました! 内心人を見下しちゃうタイプです。

おれのほうがわかってるんだ!って根拠のない自信。

 

そして彼は材木店で見習いをやるのですが、情熱などは一切なし。

さっさと仕事を片付けて、本を読み、感受性に身を任せる日々です。

 

そんなある日のこと、お父さんが死にました。

町を挙げて葬儀するほどの家柄です。主人公は大きな遺産を手に入れました。

また、兵役も免除されており、自由な生活の幕開けです。

ヨーロッパを放浪し、芸術に、精神的な喜びに身を任せます。

といいつつ、世間からみたら遊び暮らしているだけです。

 

その後ドイツに戻ってくると、部屋を借りて腰を落ち着けます。

彼は預金の利息で生活をします。働いたら負けですね。

元手が大きいので利息も人並みに暮らせるくらいにあります。

ただ、贅沢をガンガンできるわけではないので

衣食を削って趣味にお金をかけます。

 

なお忘れずにいっておくが、おれはいろんな用をいくぶん理想主義的に片づけて、日々の生活に、できる限り豊富な「内容」を与えようと、本気になって気を配っていたのである。食事もささやかにすませ、着物もたいてい一着しか持たず、つまり、肉体的の欲求には努めて制限を加えて、その代り、いっぽうでは、オペラや音楽界の上等席に高い料金を払ったり、新しく出る文学書を買ったり、そこそこの美術展覧会に行ったりすることができるようにした。

p48

 

今でいうと、服と食べるものを節約して、

ライブやコミケに行ってるようなもんですねw

 

※芸術だからサブカルに勝るとかそんな理屈はないです。

その時に流行っていたものの一部が、長い時を経ても生き残り

「芸術作品」と評価されるようになっただけ。

 

肉体的、実務的な実世界には「内容」はなく、

精神的な喜びを求めているわけです。

 

ちなみに彼はぼっちでした。

上流階級にも入れず

ボヘミアンのような無政府主義でもなく。

どこにも属さないぼっちでした。

 

さて彼の最強ニートっぷりがそろそろわかっていただけたかと思います。

 

社会とのつながりもなく、ただ延々とエンタメを消費する生活

そんな彼も自分が本当に幸せなのか、悩み始めます。

よく考えてみると、おれは次の詭弁的なばかげた概念差別を、自白せざるを得ない。内的幸福と外的幸福の差別である。ーーー「外的幸福」、それはいったいどんなものか。ーーー世にはその幸福が天才であり、その天才が幸福であるような、神の寵児とも見るべき人たちがいる。光に住む人たちである。目には太陽の映像と反射を宿しながら、軽く優雅に愛想よく人生を踊り渡ってゆく。すると世間は、そういう人たちを取り巻いて、嘆美し称揚し嫉妬し、しかも愛慕する。ねたみでさえ、彼等を憎む力はないからである。ところが彼等は、子供のような様子をしている。皮肉で我儘でむら気で高慢で、明るい人なつっこさがあって、自分の幸福と天才とを恃んでいて、さながら、そのすべては決して変わることはないといった風である。ーーーp53

なんか小難しく書いてありますが、外的幸福とは

現代風に言うとキラキラリア充です。

 

フェイスブックで、インスタで、

いいねを集めるキラキラ感が

自分には決して手に入らないものだと

ヒキニートのみんなは自覚していることでしょう。

ええ、リア充たちは「神の寵児」なのです。

 

主人公もリア充をうらやましく思いながらも、

自分の孤独を「哲学的孤独」とか言っちゃったりして

認めたくないけど自己劣等感・・・みたいな状態に陥ります。

 

そんなある日のこと。

お散歩をしていると、馬車の手綱を引く綺麗なおねえさんを見かけます。

思わず目をとられるほどのキラキラ感。

おれの感じていたものは喜びと嘆賞であった。が、同時に、なにかある奇妙な刺すような苦痛が起こってきた。あるにがい重苦しい感じである。---嫉妬の念か、愛慕の念か。---おれは突きつめるのがこわかったーーーあるいは自蔑の念であろうか。p57-58 

 そんなキラキラリア充の女子を目の前にして、劣等感を感じちゃう系男子。

 

その後、その綺麗なおねえさんを、偶然にもオペラで発見します。

父と思われる老紳士と観劇に来たのでしょう。

オペラではなく、彼女に注意を惹かれていた主人公。

そこで彼は衝撃的なものを目にします。

リア充男子が登場、彼女の手に口づけをする姿です。

そして彼は彼女の隣を占領してみせたのです。

彼女と観劇デートです。

現代だったらフェイスブックの投稿に、いいねが100個ぐらい付くでしょう。

 

 

ちなみにリア充男子、肉体派で超絶マッチョです。

自信に満ち溢れたふるまい。綺麗に整えられた服。

そして、後に分かりますが、陪審判事という仕事についています。

「仕事ができるイケメン男子」みたいな感じで

女性誌に特集を組まれそうな感じです。

 

そんな光景を見せつけられたものですから、

主人公は、あまりの自分との差に、強烈な劣等感に襲われます。

挙句の果てにはオペラが閉幕した後、3人の後を付いていき

お嬢様の住所を特定しちゃいます。

ちなみに彼女のお父さんは「法律顧問官」というお堅い職業と判明。

主人公とは住む世界が違います。

 

そして主人公は、慈善バザーに彼女が来るだろうと踏んで、

イベントに乗り込みます。もはやストーカーです。

彼女は葡萄酒とレモネードを売っており、例のリア充彼氏も一緒です。

主人公は彼女に近づき、口説こうとします。はっきりいって自殺行為です。

 

昔みたいに軽妙な冗談が言えるのか、それとも完全にコミュ障になってしまったのか

それが今こそはっきりするときです。

 

なにが起ったか。いや、なんにも。---会話がはたと止んで、見覚えのある男は、---、縁も紐もない鼻眼鏡をおさえると、その指の間からおれを眺めた。そして若い夫人は、落ち着いた、吟味するような視線を、俺の上にーーー服をずっと伝わって靴まで滑らせた。おれの服は決して新しくないし、靴も巷の埃にまみれている。それは自分でも知っている。その上のぼせてもいるし、髪もきっと乱れているだろう。おれは冷静でもなく、奔放でもなく、得意な境遇にいるわけでもない。異端で、権利のない、ここにふさわしくない人間である自分が、この場をさまたげて、われから恥をかいているのだという感じが、おれをおそった。おぼつかなさと心細さと憎しみと悲嘆とで、おれの視線は乱れた。で、つまりおれは、陽気な企てを実行するというのに、暗くしかめた眉と、しわがれた声と、しかもそっけない、ほとんど乱暴な調子とで、こういったのである。

「葡萄酒を一杯お願いします。」 p65-66

 

これでもかと自意識過剰を発動させて言いたいことを言えませんでした。

意気揚々と口説きにいったものの結果として無様な醜態をさらしただけでした。

過去の栄光にすがりつこうも、それはことごとく崩れ去っていたのです。

ちなみにこのあとリア充たちが結婚したことを知る主人公。

 

彼の「内面的幸福感」(サブカル消費の精神的享楽)は

真のリア充たちを前にしてばっきばきに、これでもかと打ち破られます。

ニートを存分に楽しむも、次第に懐疑的になり、

真のリア充にはかなわないことを思い知るのです。

自分の生活には決していいねが付かないことを思い知るのです。

 

小難しい言葉で観念的なことが並べてあるので難しく感じますが、

(しかも戦前の日本語での訳なので余計に)

こうやって分析してみると、ニートリア充に対して抱く劣等感を

これでもかと思い知らせるように如実に描いていることが分かりますね。

 

ちょっとでも面白そうだなと思った人はぜひぜひ手に取ってみてください。

 

トオマス・マン短篇集 (岩波文庫 赤 433-4)

トオマス・マン短篇集 (岩波文庫 赤 433-4)

 

 

こうやって解釈で遊ぶと、文学は最高におもしろい。

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